三行詩について

2012年12月30日 (日)

三行詩は心地よい?

以前、三行詩を書き始めた動機について書いた。

「なぜ、三行詩なの?」

要は詩を削っていくと三行に落ち着いたということだ。
五行、四行。。。まだ削れる。
二行、一行。。。伝える言葉が足りない。

三行詩を書き始めたときは、書いた詩からひたすら行を削るという作業を行っていた。
しかし、だんだんと書きたい内容をはじめから三行で構成しようとしていた。
これはごくごく自然な流れだったのかもしれない。
そして次第に心地よくなっていったのです。

三行で構成することは、まるでパズルを考える思考と似ている。
言葉のピースをあてはめたり、入れ替えたり。。。
この行為が心地よいのだ。
長い詩では、こうはいかない。
けっこうストイックだったりする。

次は、三行詩の不完全さについて考えていきたい。


2010年11月 4日 (木)

なぜ、三行詩なの?

先日の関西コミティア37において、とある読み手の方から
「なぜ、三行詩なの?」という質問を受けた。
「言葉を削っていった時、その限界が三行だった」という意の答えをした。
会場では時間がなかったので、それ以上のことは伝えることができなかったので
補足しようと思う。

十年ぐらい前のこと、詩を書いていて
「余分な言葉を削りたい」という欲求が高くなっていた。
そして、五行、四行、三行と削っていったが、二行で限界を感じた。
そう、わたしにとっては三行がぎりぎりのところだったのである。

三行詩はとても心地よく、
八年以上経っても未だに三行詩を書いている次第。
では、いったい何が心地よかったのか。
それはまた次回のお話☆